廃棄した筈のアヘンの横流し、権力者の事故の隠蔽。

資料を読み直し調査書と鑑定書を照らし合わせれば次から次に不正が溢れ出す。

資料庫には上官しか入ることを許されない。

それは上官たちが皆、資料庫に溢れる不正の恩恵を受けた共犯者だからだ。

そしてこの俺も、その1人だということを。

生涯忘れ得ぬ誇りの棄却を。



総ては譲り受けた正義のために。





「日高上官、この前のスリ事件の報告書どうします?」



資料庫から自室に戻る廊下の途中で日高紳一ヒダカシンイチは足を止めた。

すぐに後ろから大量の資料を腕いっぱいに抱えた部下が走ってくる。

肩のフェルト布にはシンプルな白い星の勲章が1つ輝いていて、それと同じくらい輝く目で日高を見上げてきた。



「銀座のスリ事件か」

「えぇ、一応証拠も全部押さえてありますし…日高上官忙しいでしょう、報告書なら僕が書きます」



任せてくださいとばかりに胸を張る部下に日高は小さく笑った。

報告書は普段日高自らが書くことにしている。

それは現場を走り回る部下たちをせめて署内では休ませてやりたいという気遣いからだ。

おかげで「仏の日高」と呼ばれ、上司にしたい上官と評判だ。

優秀な部下たちに囲まれた完璧な上官。

今もこうやって日高を慕い少しでも力になろうと目を輝かす部下が目の前に立っている。



「いいや、俺が書こう」



しかし、そうはいかない。

自分が上官という温床に留まるためには、この軍警院グンケイインの意にそぐわなければならない。

どんな小さな事件であれ軍警院の弱みに関係する事件ならば隠蔽しなければならない。

何か事件を起こせば政治院に総ての権力を奪われてしまう、それだけは何としても避けなければならないのだ。



三権分立。



この国は皇帝院コウテイイン政治院セイジイン軍警院グンケイインに権力を分割、均衡を図り成り立っている。

その均衡を守るために、この国を生かし続けるために、この隠蔽は正義なのだ。



「(正義には様々な形があると云うが、本当だな)」



自室に資料を運ばせれば部下に微笑んで礼を言いそのままドアを閉めた。













もう3時間程ペン先にインクをつけては紙に走らせる行為を続けている。

突然ノックもなしにドアが開く音がした。



「大谷、ノックをしろ」



日高は顔を上げずに呆れたような口調で言う。

その言葉の先には日高と同じ灰色の制服に身を包んだ青年が立っていた。

顔を真っ赤にし酷く憤慨しているようなその表情を日高に真っ直ぐ向けている。

何か言いたげにしたまま入り口に突っ立っている男に日高は気怠げに視線を投げた。



「貴様、星はいくつだ」



重々しく開かれた口から憎しみにもとれる口調で言葉が紡ぎ出された。

ツカツカと日高に近付き俯いたその顔は制帽の影でよくわからない。



五つピャーチになった」



書類に責任者確認済みを表す判を押して顔を上げる。

にやりと口元を緩め伸ばした足を組めば椅子を回転させて体ごと相手に向けた。



「日高ー!!」



大谷と呼ばれたその青年は制帽が床に落ちるのも構わず日高に飛びつく。

その表情は先程の重苦しいものではなく、喜びと尊敬による興奮でたまらないといったものだった。

抱き付かれた当の日高は、ずれて鼻頭に引っかかっただけの眼鏡を指で押し上げ大谷の背中を叩いている。

同じ男とは言え、絵に描いたような軍人体型の大谷に飛び付かれれば少々華奢な日高には耐えきれない。

日高は、この男と一緒にいると毎日机に齧りついて仕事をしている自分を幾分か恥ずかしく思うのだった。



「日高、星五つピャーチ ズヴィズドなどよく成れたな!同期の中で1番の出世だぞ!」

「まぁそうだな、他には居ないな」



やっと離れた大谷を机の向こう側に、日高は手元の書類をちらりと見直した。

もう少しで纏め終わるところまで来ているというのに、

この来客が出て行かない限りはペンを進めることは出来ないだろう。

目の前の、机に寄りかかり肩肘をついて穏やかな笑みを浮かべる大谷条太郎オオタニジョウタロウという男は、

軍警院に属していて、星四つツェットゥイリ ズヴィズダーを持つ10階級中の4階級上官だ。

日高とは軍警学校時代からの同期であり、また、無二の親友だ。

性格は温厚で皆から頼られる兄貴分なのだが、軍警院長を尊敬するあまり少々度の過ぎる熱血漢とも云える。



この男もまた、隠蔽という名の正義の最中に居るのだ。



日高は人の好さそうな笑顔を眼鏡越しに見つめた。

親友が昇進したことが余程嬉しかったのか次々に言葉を発する大谷をよそに

日高は反動をつけて椅子から立ち上がり窓を開けた。

いつの間にか陽が沈み行こうとしている刻限になっていた。

赤々と燃えるような夕陽が海に溶けようと首を傾けているのが見えた。

最期の足掻きか、窓の外を見つめる日高に熱を叩きつけてくるようだ。

夕陽が消えていこうとする海の手前、日高はそこに広がる島に目を向けた。



浮世島ウキヨジマ



正式名称は倉濱出島クラハマデジマ8区。

暗くなる中、赤や朱、桃色の提灯がぼうっと灯されてゆく。

元は外国人居留者たちのために用意された出島だったのだが、瑞祥ズイショウが大戦で勝利を治めた後、

本来の役割を失い遊郭や外国人奴隷が住みつく場所となった。

いわば無法地帯の歓楽島だ。



「浮世島か」



すぐ後ろから大谷が呟いた。

夕方は海に勢いがあるのか、木の葉が巻き上がっては目の前で海風に攫われてゆく。

観音開きの窓を半分だけ閉めながら日高の目はまっすぐに浮世島を捉えていた。

その鋭い眼差しは海風に負けることなく窓を離れる直前までその島に注がれていた。



「(無法地帯の出島を何故軍警院は放っておくのだろう)」



椅子に腰かけようとしたとき、機敏なノックの音が聞こえた。

入れ、と一声かければすぐに先程の部下が礼をして入ってくる。

大谷が背筋を伸ばし敬礼をするのを見れば慌てた様子で敬礼を返し、そのままの硬い表情で日高に向き直った。



「第一会議室において定例会議です、日高上官」



部下の言葉にふと時計を見やれば会議の15分前だった。

制服を正しながら机に置いていた制帽を被り中指で眼鏡を押し上げれば

ドアを開けて待っている部下に短く礼を言い室内にいる大谷を振り返る。



「行くぞ、大谷4階級上官」

「はい、日高5階級上官殿」





軍警院の星たち