会議室にはすでに上官たちが集まり始めていた。

入口まで日高たちを見送った部下は仕事に戻って行った。

それぞれに用意された自身の席に腰をおろせば仕事の顔つきに変わる。



星五つピャーチ ズヴィズドになった日高上官殿だぞ」

「まだ30だろう、ひよっこが」

「来るのが遅いぞ仏の日高殿」



ちらちらと日高を見ながら声をひそめることなく初老の上官たちが話している。

もちろん話しかけられているわけではないから、聞こえてくる悪態になるべく耳を貸さないように。

制帽を脱ぎそれを掻き消すように机に置いた。

代わりに机に置かれた資料を手に取り目を通しているとゆっくりとドアが開いた。

一斉に立ち上がる周りの上官と共に日高も立ち上がりドアから入ってきた恰幅の良い男に向き直る。

腰に差した長剣の柄に左手をだらりと乗せ会議室内を見回し日高に目を留めると数度頷き満足そうに顎を撫でた。

宮川多賀志ミヤガワタカシ、この堂々とした男が軍警院の最高権力者だ。



「おめでとう日高君、これからも他の上官を嫉妬させてくれたまえ」



日高に悪態をついていた上官たちは体を縮ませ互いに見合っている。

その様子を横目に心の中で呆れながら最敬礼をした。



「(聞いていたのか)」



密かに探るような眼差しを向けていれば宮川はさして気にする様子もなく席についた。

机の上の茶を一口飲んだのを見計らってから他の上官たちが席につく。

ふと大谷に目を遣れば案の定尊敬の眼差しを宮川に向け座りながらもその目を離すことがなかった。

その姿に机に突っ伏しそうに呆れたが、これもいつものことだ、と思い気を取り直して資料を手にする。

相変わらず大谷は資料を握り締めて興奮を抑えようと必死な様子だ。

この定例会議は全上官が集まり、一週間の内に起きた事件や事故について報告を行うものだ。

今週も上手く隠蔽出来たと皆で一安心する場、とも云えよう。

今回も隠蔽した事件があったようで、その証拠が手元の資料だ。

文章を目で追えば、それはそれは鮮やかな隠蔽工作が書かれており、最後には無事終了の文字が躍っていた。

日高は手帳と万年筆を懐から取り出し机の上に置いた。

次の隠蔽でも使えそうだと思ったことは必ずメモすることにしている。

そっと撫ぜた手帳はいささか中心が膨らんでいて、

滑らかだった革の表紙も傷だらけで痛々しい姿になっている。

この膨らみも傷も、今までの日高の弛まぬ苦労を語っていた。

資料を作ってきたと思われる上官が報告をしている間に日高は手帳の表紙を撫で続けていた。

革に刻まれた“U”の文字を指先でなぞっていた時、会議室のドアがけたたましく叩かれた。

ドアの近くにいた上官がその音に答えて開いてみれば、

先程日高たちを会議室まで連れてきた部下が酷く動揺した表情で立っていた。

苦しそうに肩で息をしているところを見れば、彼が全力疾走して来たことがわかった。



「定例会議中だぞ、どのようなことがあっても」

「容疑者が護送中に逃亡しました!」



上官の言葉を遮り唇を震わせながら会議室中に響き渡るように発された言葉に、

その場にいた上官たちは耳を疑った。

護送中に容疑者の逃亡を許したことなど、軍警院創設以来なかったことだ。

日高は狼狽える上官たちの波を掻き分けて部下のもとへ向かった。

上官たちの動揺が伝播して小刻みに震える部下の両肩を掴み、落ち着かせようとゆっくりと尋ねる。



「容疑者というのは、銀座のスリ犯か」

「…は、はい」



消え入りそうな声に日高は会議室の窓に目を向けた。



「逃亡先がわかっているのなら追跡出来るな」

「それが、」

「そうか」



俯く部下の告げたかったことは逃亡だけではないことは言葉を聞かずともわかる。

軍警院の動揺を嘲笑うかのように窓の外で愉快そうに提灯を浮かべている歓楽島。

あらゆる介入を拒む無法地帯、スリ犯はそこへ逃げ込んでしまったのだ。

日高は騒ぎの中ちらりと宮川を見た。

宮川も浮世島をじっと見つめて悔しそうにぎりりと歯を噛み締めていた。

しかし、一瞬だけその表情に余裕の笑みを見た。



「(今の顔は…)」

















夜の海風は湿っぽさを含み、より激しさを増している。

半開きになったままの日高の部屋の窓から室内に吹き込み、

机の上にあった資料を悪戯にばらまいていた。

引き潮のように沖へ戻っていく風に、1枚の資料が窓の外に吸い込まれていく。

容疑者の顔写真の載ったその紙は、まるで本人を目指すかのように

海間にぼんやりと浮かび上がる浮世島へと飛び去った。



















ここは瑞祥帝国。

皇帝院、政治院、軍警院の3つの機関により成り立っている東方の島国。

30年前の大戦において、東方連合の筆頭として世界相手に大勝利をおさめ、世界最強の国家を確立した。

世界各地に植民地を有し、世界一の奴隷保有国になった。



そして、帝都の南に位置する倉濱と橋で繋がったこの出島、浮世島にはそれらの犠牲者が住み着いている。

神社を中心に遊郭が建ち並び、それに付随して様々な店もある。

見方によればひとつの社会が出来ているとも云えるだろう。



そこは、来る者を拒むことはないが出る者を決して許すことのない島。



















提灯がぶらさがる遊郭長屋の通りを人混みを避けるようにして長い髪が揺れる。

夜になったばかりだというのに酔った人はそう少なくない。

汚らしい格好の人が目立つも、中には金持ちそうな服装の人もいる。

強く吹いた風に髪が乱されるのを抑えながら少女は真っ直ぐどこかへ向かっていた。

年中海風が強く吹きつけるこの島は、島の周りをぐるりと取り囲む堤防と防風林によって守られている。

それでも風をすべて遮断出来るわけではない。

忌々しそうに夜空を見上げていたとき、周囲から人が離れ慌ただしい足音が近づいてきた。



「痛…っ、ちょっと、どこ見て歩いてんのよ!」



正面からぶつかってきた男に少女は噛みつかんばかりに顔を近づけて睨んだ。

男は少女の言葉には反応せずに来た道を振り返り、今の場所が島の門から

だいぶ離れた場所だということを確認すると口元を弛めて小さく笑った。

そして再び走り出し、あっという間に人混みの中へ消えていった。



「まったく」



周りからの同情の眼差しに少女は、腰に当てていた両手をおろして苦笑した。

この島で、この街で、ああいうことはよくあるのだ。

近くの店から顔馴染みらしい男たちに声をかけられれば、手をひらひらと振って答える。



気を取り直して人が掃けた道を歩き出すと、少し離れた店から少女を呼ぶ声が通りに響いた。

少女はその声に慌てて駆けだし、先程の男と同様に人混みへ入っていく。

長い髪を海風に揺らめかせながら。





歓楽島へ
ゆかれるか